頭の良くなる薬

エコノミスト誌に、頭の良くなる薬の話が載つてゐる。
Smart drugs

 

これらの薬は、精神を刺激し、中毒性がある。利用者に拠れば、集中力が増し、疲れが減るといふ。しかし、高揚状態は長続きせず、中毒患者は、量を増やしながら薬を飲み続けなければならない。科学の進歩により、かうした薬は、今後、次々と登場する可能性が高い。アルツハイマー病、統合失調症等の精神疾患を治療するためだが、病気でない人達も使ふだらう。

 

さうした使用は、不公平であり、危険で、倫理に反するといふ見方もあるが、エコノミスト誌は、これを規制することは無理であり、間違ひであると主張する。手に入れたい人達は手段を尽くして入手するだらうし、夜勤や時差への対応、不安やストレスの軽減などの有益な利用法があるからだ。一部の人だけがかうした薬を飲むのは不公平だといふ意見には、軽度の記憶障害を持つ数百万の人々を助けないのは公平なのか、と反問する。老化する肉体の皺を伸ばしたり贅肉を取つたりするのは「自然」で、ニンテンドーで老いる脳を訓練するのは違ふのか、と問ふ。危険は避けられないが、それは他の薬でも同様であり、子供への副作用には注意が必要だが、かうした薬の登場は、社会から歓迎されるだらうと結論してゐる。

 

自由と市場の働きを重視する同誌らしい意見だが、体の薬と心の薬では、人々の受け止め方に差があるのは確かだ。何故か。

 

一つには、現代社会における頭の良し悪しの重要性を挙げることが出来よう。現代の日本では、頭の良し悪し、勉強の出来不出来は、職業選択の決定的な要素である。金持ちやコネを持つ人間だけが薬を手に入れられる虞が大きく、公平であるべき競争が歪められる。

 

この見方には、反論があらう。身体の良し悪しも職業を決める重要な要素だが、これは遺伝により大きく左右され、食生活等にも影響されるのに、世の中では仕方がないと思はれてゐるではないか。頭の問題にしても、塾に行ける子供だけが得をしてゐるといふ現実があるではないか、等々。

 

ただ、頭の良くなる薬が新たな格差を生む虞があるのは確かだ。エコノミスト誌が主張するやうに、その使用を制限すべきではないとすれば、誰もが公平に入手できるやう、工夫が必要だらう。結局は、量産して値段を下げるしか方法は無いかも知れぬが。

 

心の特殊性を理由とした規制論もあり得る。現時点で不明な副作用があつた場合、影響が深刻である。あるいは、心とは自分そのものであり、薬を飲むと自分の姿を見失ふことになる。また、自分が薬に頼つてゐるといふ意識が、逆に心の負担にならないか。

 

かうした議論も、決定的なものとは言へまい。副作用については、他の薬も同様で、経験を積み上げるしかないだらう。自分=心が変はつて仕舞ふと言ふが、身体も自分である。自分の気分が、如何に身体によつて左右されてゐるかを知つてゐる人は少ない。また、自分とは何かといふ問ひに答へることは容易ではないが、それが記憶を積み上げながら、成長を続けるものであり、従つて変化を続けるものであることは間違ひない。

 

結局、問題は、人間がかうした薬を本当にうまく使へるか、といふことだらう。酒や煙草、あるいはダブル・エクスプレッソの濫用を見よ。必要な時のみに、必要な量だけを飲むことができるか。習慣性が問題になるやうであれば、結局、麻薬等と同様の規制が必要になるだらう。