カシミール効果

5月22日号の Economist 誌にカシミール効果の話が出てゐる。記事は、かう書き始められてゐる。
無から何かが生まれ得るか。哲学者達は何千年もこの問題を議論してきたが、物理学が答をもたらした。それは、然り、といふ答である。

 

カシミール効果とは、量子力学的な効果の一つだ。量子力学の説くところでは、真空は単なる無ではなく、潜在的な粒子と反粒子に満ちてゐるが、素早く生成と消滅を繰り返してゐるので、通常は見えない。これだけでは、単に抽象的な世界の議論に過ぎないやうに思はれるが、1948年に、オランダの物理学者 Hendrik Casimir (1909-2000) が、この真空の持つ性質の結果として、二枚の金属板を粒子の波長と同程度に近づけると、金属板が引き合ふ方向に力が働くと主張した。この予想は、1996年に実験で確かめられた。

 

Evgeny Lifshitz (1915-1985) は、この力が、液体の中では適当な条件のもとに反発力になることを示した。最近の実験では、エタノール中の金の板を用ゐて、Lifshitzの計算に従ひ、引力が80%低下することが示された。反発力を生みだすことができれば、MEMS (Micro Electro Mechanical Systems)の開発に、非常に大きな力となると期待されてゐると言ふ。

 

量子力学の世界では、一つの粒子が二つの穴を同時に通過するなど、巨視的な世界の常識に反する現象が多く見られる。カシミール現象もその一つだ。技術の進歩により、量子力学的な効果が影響を及ぼすやうな、ミクロン以下の世界で、様々な物を加工できるやうになつてきて、この種の効果が身近な物にも応用される時代が近づいてゐる。我々には当然だと思はれる論理が、実は、巨視的な固体を前提とした論理であることが、一般の人間にも、感じられるやうになるかも知れない。