真つ当な仕事-専門家の責任

最近、建築物の耐震強度偽装、食品の品質表示偽装といつた話が目につく。かうした酷い仕事をして世間に迷惑をかけた経営者等は、「競争が厳しい中で、会社を潰さないためには仕方がなかつた」といふ類の言ひ訳をする。どうも、彼等には、世の中で仕事をすることの基本的な意味が分つてゐないらしい。

人が世の中で生きて行くことができ、会社が経営を続けられるのは、世の中の役に立つてゐるからだ。人により能力に違ひがあり、会社の資金力や人材には差があるとしても、それぞれの力に応じた貢献が前提なのだ。特に、会社の場合には、さうした前提に基づいて、法人格が認められ、税制上の優遇などの特権を受けてゐる。

そもそも、人としての、企業としての、誇りや喜びは、世の中に新たな価値を生み出すところにあるはずだ。安全で快適な住宅や事務所、工場を建てる、美味で栄養豊かな食品を提供する、それが彼らの使命であり、生き甲斐なのではないのか。

ところが、偽装問題を引き起こす輩は、消費者の無知や、規制の緩みを利用して、人をだますことで金を儲けようとする。これは、単なる一つの犯罪行為であるに留まらず、分業が進み、仕事が専門化する社会において、その基礎となる信頼関係を損なふ大きな背信行為なのである。

グローバル化が進み、世の中が複雑になると、我々の消費する財やサービスが、どのやうに作られ提供されてゐるのかを知ることは、難しくなる。外見では品質を判断することは無理な場合も多い。さうした取引が正しく行はれるために、各種の品質表示制度があるのだ。売り手と買ひ手の間には、知識量に大きな差があるので、それを埋める手だてがなければ、お互ひが納得する取引は成り立たないからだ。その制度の基本を無視した偽装行為は、取引そのものの成立を危くする。

では、どうするか。企業が自ら襟を正すか、規制を強化するか、の二つに一つだ。望ましいのは、前者である。建築偽装の場合には、規制が強化され、審査体制の整備が遅れたこともあつて、建設業界全体の売り上げが落ち込んだ。世の中には、国土交通省の対応のまづさを批判する声が高い。役所に対応に問題があつたことは確かだらう。だが、業界の方は何をしたのか。

建設業界にしても、食品業界にしても、同業者が、偽装に対して非難の声を挙げた、とか、業界をあげて偽装を排除するための取り組みを始めた、といふ話を聞いたことがない。不思議だと言はざるを得ない。勘ぐれば、皆、同じ穴の狢(むじな)なのではないか。自浄能力など、どこを探してもないのではないか。

だとすれば、残された道は規制強化しかない。しかし、規制は、コストがかかる一方で、抜け道を完全に塞ぐことはできない、非効率な仕組みである。かうした規制を必要とするのは、社会にとつては大きな不幸だ。また、業界にとつても恥ではないか。真つ当な仕事をし、さうでない企業は告発するなりして、職業人としての、業界としての誇りを見せてもらひたいものだ。