原爆、アフリカ

昨日の朝日新聞朝刊で印象に残つた記事。

 

ひとつは、コラム「被爆国からのメッセージ」3に載せられた、被爆医師の肥田舜太郎(ひだしゅんたろう)さん、92歳のお話。軍医として広島陸軍病院に赴任中に被爆。今年3月に医師を引退するまで6千人超の被爆者を診察。

 

日本政府は外交の場で「唯一の被爆国」であることを訴えています。でも、この国の政治家や官僚は本当に原爆が人間に与えた被害を理解してきたのでしょうか。

 

衝撃だったのは、肉親捜しや救援のため後から市内に入った人たちが突然高熱を出し、亡くなっていくことでした。新婚の夫を捜しに1週間後に島根県から市内に入った女性は、夫が涙声で名を呼び続けるなか、抜けた黒髪を吐血でぬらして命を閉じました。

 

吸ひ込んだほこりや飲んだ水に含まれてゐた放射性物質による「内部被爆」のためである。

 

原爆放射線の恐ろしさは被爆から64年たった今も知られているとはいえません。占領下、米軍が原爆に関する調査研究を禁じたことが元凶です。日本政府も米国に追随するように被爆の実相を明らかにすることに消極的でした。象徴的に現れているのが、原爆放射線の影響を過小評価し「狭き門」を続けてきた国の原爆症認定制度です。

 

戦後の国際情勢の中で、原爆を投下した側の米国に配慮せざるを得なかつた事情もあらうが、これも、敗戦による歪みが続いてゐる一例だ。

 

もう一つは、オピニオン「私の視点×4」に載つた、コンゴから東大大学院に留学中のウィリー・トコさんの意見。「アフリカ報道 努力する現地の人の紹介を」

 

私は、日本で伝えられる様々な活動に対して頭が下がるし、報道されるべきだと思う。と同時に、もう少しバランスの取れた報道があっても良い気がする。同情を誘うような一面的な報道は「アフリカはかわいそう!」というイメージを助長し、アフリカ理解の弊害となっているのではないか。

 

日本政府による対アフリカ支援はどのような性質を持ち、どのような効果を生み出しているかについても、ほとんど報道されない。また、募金活動のために同情を誘うポスターが地下鉄のホームなどで張られるのだ。が、市民がどの政党に一票を投じるかと同様に、どこに誰のために献金をすべきかが、感情的ではなく、マニフェストのような判断材料を持った上で行動すべきだと思う。このような材料を提供するのは新聞やテレビなどの仕事ではなかろうか。

 

アフリカは日本からの支援を必要としているが、本当の「支援」とはあくまで、献金ばかりではなく、援助をもらう人や国、文化をも知ることだ。

 

アフリカを植民地としてゐた欧州諸国における報道と比べて、日本のアフリカ報道が一面的であることは否めない。真の意味での関心を持つてゐる人が、殆どゐないからだ。現代において、一番貴重な財は、「関心」ではないだらうか。どの著者の本を読み、どのミュージシャンの音楽を聴き、どのブログを見るか。人々の真の関心が、立派な政治を、心に響く作品を、優秀な製品を育てるのだ。