日本の交渉術

NHKの番組、『追跡!A to Z「ニッポンは勝ち残れるか 激突 国際標準戦争」』を見る。日本の超高圧送電技術を世界標準にするための、関係者の努力には頭が下がるが、世界を相手にした日本の交渉術について、非常に心許ない思ひがしたのも事実である。日本人は、交渉といふ営みについて、根本的な部分から考へ直し、自らの交渉術を鍛へ直す必要があるのではないか。

そもそも、何故、交渉は纏まるのか。この基本的な問題を反省してみた日本人は、どれだけゐるだらうか。日本の交渉は、「泣き落とし」でなければ、「脅し」である。日本人は、交渉を、通常の規則ややり方では実現できない目的を、感情や力に訴へて解決する手段だ、と見てゐる。日本の社会で、よく見られるやり取りの一例。

甲「これは無理ですね。」
乙「そこを何とか、頼むよ。」
甲「無理なものは無理ですよ。」
乙「そんな冷たい事を言はないで呉れよ。僕も困つてゐるんだ。」
甲「お困りなのは分りますが、こちらにもこちらの立場がありますからね。」
乙「君と僕の仲ぢやないか。」
甲「これだけは、難しいですね。」
乙「僕がこんなに頼んでゐるのに、駄目だと言ふのか。」
甲「申し訳ありませんが・・・」
乙「本当に、それで良いのか。後でどうなつても知らないぞ。」
甲「そんなこと、言はないで下さいよ。無理なんですから。」
乙「分かつた。それなら、もう良い。もう君には頼まん。後悔するなよ。」

世の中に利害の対立は避けられない。それを、どう解決するか。感情や力に訴へて解決するといふのは、確かに一つのやり方である。日本人は、先づ、「泣き落とし」を試みる。相手との共同体意識(「仲間ぢやないか。君と僕との仲ぢやないか。」)に訴へるのだ。意識してゐるか否かはともかく、協力が相手の長期的な利益に適ふことを前提とした説得法で、それなりの有効性を持つ。

「泣き落とし」がうまく行かないと、多くの日本人は、急に態度を硬化させる。お前と俺は、もう、仲間ぢやない。敵だ。この脅しが効いて相手が譲歩すれば、両者は再び「仲間」になるのだが、失敗すると、相手と口を利かない、悪口を言ひふらす、更には物理的な暴力に至るまで、様々な形で攻撃に出ることになる。

狭い社会で一緒に暮らす事が前提となつてゐる村社会では、この説得法は高い有効性を持つ。誰も、長く顔を突き合はせて暮らして行かねばならぬ人間と、悪い関係にはなりたくない。しかし、相手が赤の他人だと、この方法はうまく行かない。

赤の他人との間で、交渉を進めるためには、他人との間でも通用する基本的な原理か、相互の共通の利益を持ち出す必要がある。国際交渉では、かうした交渉が一般的だ。前者は、基本的人権、国家間の平等など、実態はともかく、表向きに反対できない基本的原理を掲げて、自らの立場がそれに合致してゐることを主張するのである。後者は、相手との間で、双方がそれなりの利益を得る、所謂 win-win の関係を作り出すことで、自分の目的を達成しようとする交渉術だ。

日本人は、日常生活において、かうした理に訴へる交渉術を使ふことが少ないので、経験不足であり、外国との交渉において不利になる。さらに、「泣き落とし」が、国際交渉では逆効果になる場合が多いことに注意すべきだ。自分が困つてゐる、といふことを相手に示せば、国際交渉における普通の相手は、「それなら、困つてゐる日本が、さらに譲歩すべきだ」と考へる。相手に手の内を見せるのは、愚の骨頂なのである。

NHKの番組では、中国の存在が決定的な役割を果たしたのだが、中国をうまく自分の側につけることができたのは、日本の技術が他の諸国よりも進んでゐて、長距離送電の必要性が高い中国が、これに期待してゐるからだ。少なくとも、買手としての中国は、欧州が独占的な供給者となる事は避けたいと考へただらう。(逆に言へば、日本が独占的な供給者になることも望んではゐまい。この問題について、日本と中国が、常に「仲間」だと考へるのは、誤りである。)自分の持つ有利なカードは何か、相手の持つカードは何か、第三者をどう使へるか、さうした要素を考慮に入れて臨まなければ、決して国際交渉には勝てない。

番組では、日本の交渉者が、自国の技術の優秀性を訴へることに重点を置き過ぎてゐるのではないか、といふ点も気になつた。勿論、技術の優秀さ、標準としての適切さは、重要である。しかし、相手は、競合他社の利益を代表してゐるのだ。日本の技術が強ければ強いほど、これを脅威として受け止め、何とか、それを国際標準にさせまいとする、あるいは、少しでも作業を遅らせようとする、これは当然、想定される反応だ。さうした相手の利害を、日本の交渉者は十分に理解してゐただらうか。日本の技術が優秀なだけではなく、この技術を採用する事が相手に取つて利益になることを示されなければ、交渉の成功は覚束ない。

日本の国際交渉力を高めるには、英語の勉強は必須だが、これだけでは足りない。交渉といふものについての基本的な考へ方を見直す必要がある。これは、「セクハラ」や「パワハラ」、「いぢめ」などの社会問題の解決にも役立つだらう。これらの問題も、基本的人権などの基本的原理についての意識が乏しく、感情的な次元で問題を処理しようとする日本人の傾向が生んだものだからだ。