正義と戦争

Yuval Noah Harari氏の"Sapiens: A Brief History of Humankind"(邦訳「サピエンス全史」)を読み始めた。ホモサピエンスネアンデルタール人よりも優位に立てたのは大きな社会組織を作ることに成功したからであり、その基礎となったのは神話mythである、といふ説は非常に興味深い。
 
社会を纏めるために物語が必要だといふ事情は現代でも変はらない。むしろ、グローバル化する経済の実態に物語が追ひ付いてゐないことが、今の一番の問題かも知れない。
 
近く米国大統領に就任するトランプ氏の標語は「アメリカを再び偉大な国に」といふものだが、同氏の頭の中にある偉大なアメリカとはいつの時代のどんなアメリカなのだらうか。ともかく、この標語が全世界に共有されるものでないことは明らかだ。自らの利益を最優先する、といふのは当然と言へば当然だが、人が一人で生きてゐるのではないやうに、国も一国で成り立つてゐる訳ではない。貿易は、一方が他方を搾取するといふ場合もあらうが、基本的には双方に利益があるからこそ取引が成立してゐるのだから、一方だけが得をするといふことは例外的だし、長続きしない。WTOのやうな公正な貿易を実現する仕組作りも進んでゐた。何が正しい行ひかを自分だけで判断するといふのでは、国際社会は成り立たない。同氏が非難するロシアや中国と同列に堕すこととなる。
 
アラン(1868-1951)が1923年4月18日付けの文章で、正義と平和との関係を説いてゐる。 

「正義による平和」といふ良く知られた言ひ回しを思ひ付いた人は、少ない言葉に多くの誤りを盛つたのではなからうか。私は長い間これについて考へたが、始めは一貫性が無く、何も見出せなかつた。その後、戦争で来る日も来る日もこの問題に何時間も付き合ふこととなり、つひに、考へ方が歪んでゐると善意があつてもどうにもならないことが分かつた。「正義による平和」といふのはよく聞けば鬨(とき)の声の一つで、これこそが鬨の声なのだとさへ言へる。
消し去るべき誤つた考へ方の一番目は、人間が戦争をするのは奪ひ取りたいがためだ、といふものだ。少数の例ではさうかも知れない。しかし、大多数は正義のために戦ふのだ。少なくともさうだと強く信じてゐるので、結局、同じ事だ。同様に、訴訟が熱くなるのは、強欲に因るよりも、狂信的とも言ふべき正義への、或いは自分が正義だと考へるものへの執着に因る。この訴訟の例をもう少しよく見てみよう。当事者達はいつでも何らかの権利を自認してゐるだけでなく、言はば正義が世を支配するやうにと訴へるのだ。更に、全ての訴訟では、物事が複雑で、契約には全てを書くことが出来ず曖昧さが残るので、双方が正しいと見えるのも事実だ。成文法と判例の全体系は、常識では両者に明確で強い論拠があると見える場合に決定を下すといふ、大きな困難に対応するものだ。人にはこれが簡単には分からない。私は次のやうに考へる素朴な人を何人も見た。「正しいのは二方のうちの一方なのだから、二人の弁護士の中に金を貰つて嘘をついてゐる者がゐる」と。しかし、弁護士、代訴士、裁判官に尋ねてみ給へ。弁護士は決して嘘をつかず、嘘をつく必要も無いと応へるだらう。さうした荒つぽい遣り方では直ぐに笑ひ者になる、嘘や誤魔化し無しでしつかりと主張できる正義が双方にあると見えなければ訴訟は成り立たない、と言ふだらう。だから、二つのうち一つを選ぶ判決は直ぐに法の一要素となり、その後の訴訟で有力な主張となるのだ。しかしまた、正義を捉へるのは難しい。心が騒いで急(せ)いてゐる人間は皆、いつでも正義は明らかで議論の余地は無いと信じてゐるからだ。
では正しさは何処にあるのか。それは、判決が力の結果ではなく、争ひに利害関係を持たない裁定者の前での自由な討議の結果だといふ点にある。この条件で十分であり、正義の間の争ひは難解で微妙なので、これで十分でなければならない。正しいのは、予め裁定を受け入れることだ。正しい裁定ではなく、下される裁定だ。法律の基礎となるのは、自らの権利を力により主張することを公に放棄するといふ行為だ。だから、正義により平和があるのではない。正義により、正義と見える事が原因で、さわぐ心により火を点けられて、戦争が、聖戦が起こるのだから。そして全ての戦争は聖なるものだ。逆に、平和あつてこその正義なのだ。正義の秩序は、裁定の前にも、途中でも、裁定後も、満足であらうとなからうと、予め平和が宣言されてゐることが前提なのだから。これが平和な人間といふものだ。しかし、危険な人間は正義による平和を望み、力を使はないと言ひ、さう誓ふのだ。但し、自分の正義が認められるといふ条件で。これでは素晴らしい日々が約束されてゐる。

利害が複雑に絡む社会で平和を維持するためには、正義を前面に押し出すのではなく、裁定のための手続きを決めて、それを皆で守ることが重要だといふのは、数百年にわたり争ひを続けて来た欧州人が辿り着いた知恵だらう。今こそ、それを生かすべき時だと思はれるのだが。