荻生徂徠

ここ暫く、荻生徂徠を読んでゐた。できれば原典を読むといふ主義でやつてゐるのだが、徂徠の漢文は無理なので、中央公論社の「日本の名著」の現代語訳である。尾藤正英氏と前野直彬氏の解説に続いて、「学則」「弁道」「弁名」(抄)「徂徠集」(抄)「問答書」「政談」(抄)が収められてゐる。

 

「学則」「弁道」「弁名」を読むと、「道」とは先王が天下を安泰にするために作つた具体的な礼楽刑政を指すのだ、といふ徂徠の考へ方がよく分る。社会は複雑であり、それを単純な論理で治めようとすることは誤りだ、との見方も窺はれる。儒教とは何よりも政治の学であり、これが欠けた穴を埋める生きた思想がなかつたことが戦後日本の大きな不幸であることを、改めて感じる。

 

「徂徠集」は書簡などを集めたもの。当時の学者同士の付き合ひが垣間見られるやうで、興味深い。また、学問の方法についての徂徠の考へ方が分り、おもしろい。「『訳文筌蹄』題言」では、こんなことを言つてゐる。

 

 なぜかといえば、昔の書物は言葉がみな簡潔で短く、後世の文章はみな冗長だからである。簡潔なものには多少の助字的な言葉を補わねばならず、それではじめて意味が通ずる。冗長なものは多少の助字的な言葉を削除すると、それで昔の文章になる。これが古今の文章の別のあらましである。
 だから昔の書物の言葉には含蓄が多く、余韻がある。後世の文章は意味も趣もみな表面に出て、深長さがない。そこで後世の文を読み慣れた者には、ただ一筋の道が見えるだけだが、古文辞を熟読した者には、常に数十本の路があり、それが心眼にはっきりと見えて、筋が乱れない。それを読みくだすにつれて、数十の意味や趣が次第に無用のものとなって行くが、一篇を読み終えたときには、すべてが一筋の道に帰結する。だから胸中が広くて数多くの意味を包含でき、眼力が明らかで数多くの意味を見ぬいて隠れさせず、数多くの意味を混乱させず、前の文章を度忘れしない者でなければ、古文辞は絶対に読めない。さらにその胸中とその眼力によって後世の文章を読むならば、何もむずかしいことはないのだ。(p.254)

 

「問答書」は、庄内藩酒井家の家老の質問に答へた和文の書簡を集めたもので、はつきりとした物の言ひ方が印象的だ。例へば、こんな具合。

 

 貴方も戦乱の世のご先祖のことをお聞きになっていることでしょうが、現代の眼からみますと、そのころの有名な人物というのはみなどこかに疵のある人です。これは別にわけのあることでも何でもありません。その時分は、表面をとりつくろうことがなかったので、疵が見えるだけのことです。疵が見えれば人才も見えます。現代でも、世間の悪い習慣に染みない人は、この疵が多くあるので、疵のある者でなければ人才はないものと考えて、疵のある者の中から人材を選ばれればよろしいかと存じます。疵がなく、才能のあるような人を探そうとしますと、先ほど申しあげた自分の好みの注文ということになります。疵のない人は『論語』にいう郷愿(きょうげん)のように、人の顔色ばかりうかがう人間か、口ばかり上手な巧言令色の徒か、または『荀子』にいう庸人(ようじん)のような、ごくつまらない人物とお思い下さい。(p.314-315)

 

これには、「疵のある者は使いにくいのではなかろうか」といふ質問が返つて来たらしいが、それには、次のやうに答へてゐる。

 

 現代人は人の失敗を咎める気持が強いので、自分でも失敗のないようにとばかり気をつかいます。使い損うまいと考えるので、疵物は使いにくいとおっしゃるのです。落馬する人でなくては馬は乗りこなせません。人を使い損う人でなくては、人を使いこなすことはできません。聖人の堯でさえ治水の役人として鯀(こん)を登用し、九年かかっても成功しなかったことや、周公が兄弟の管叔鮮(かんしゅくせん)や蔡叔度(さいしゅくたく)を登用して、かえって反乱を起されたりしたことで、納得がゆくでしょう。人を使い損うまいと思うのは、聖人にもまさろうという考えで、大きな間違いとお思い下さい。(p.315)

 

「政談」は、幕府の政治を改革するための提言だが、当時の経済社会の実態が分り、非常におもしろい。
戸籍のあり方、経済政策、人事政策など、内容は多岐に亘る。「諸役人の才説くを見分けること」と題された章では、執政(老中)の言葉づかひや容姿のあるべき様について、かう言つてゐる。

 

 元禄のころまでは、どの執政もこの心掛けがあって、言葉づかいや容姿も見事であったのに、正徳のころ(1711~16)からこの風が衰えて、今では重々しい立派な態度の人はいなくなった、と聞いている。そういう風になった原因は、学問のない人の考えとして高遠なことを嫌い、手短に用務を処理しようとし、ことに才知のある人は自分の才知を発揮しようとするところから、容姿や言葉づかいの慎みが崩れるのである。しかし執政の職は、自分の才知を発揮するのではなく、下の者の才知を活用し、下の者を育成して、有用な人物の多く出るようにするのが、その職分の第一である。自分の才知を発揮するのは、諸役人の職務であって、執政の職分ではない。どれほど才知を働かせたところで、下の者の才知を活用しなければ、自分の才知だけで足るものではない。だから自分の才知を発揮しようとするのは、執政としてはかえって職分に反して、結局は上への不忠になることであるのに、それを知らないのは、学問がないための過誤である。(p.463)

 

かういふ本を読むと、江戸時代がぐつと身近なものに感じられて来る。