日本文学の特徴

加藤周一『日本文学史序説』を読み始める。最初の章で、日本文学の五つの特徴が列挙されてゐる。

1 文化全体のなかでの文学の役割
「各時代の日本人は、抽象的な思弁哲学のなかでよりも主として具体的な文学作品のなかで、その思想を表現してきた。」
「日本の文化の争うべからざる傾向は、抽象的・体系的・理性的な言葉の秩序を建設することよりも、具体的・非体系的・感情的な人生の特殊な場面に即して、言葉を用いることにあったようである。」
「文化の中心には文学と美術があった。おそらく日本文学の全体が、日常生活の現実と密接に係り、遠く地上を離れて形而上学的天空に舞いあがることをきらったからあであろう。」

2 歴史的発展の型
「日本で書かれた文学の歴史は、少なくとも八世紀までさかのぼる。もっと古い文学は、、世界にいくらでもあったが、これほど長い歴史に断絶がなく、同じ言語による文学が持続的に発展して今日に及んだ例は、少ない。」
「一時代に有力となった文学的表現形式は、次の時代にうけつがれ、新しい形式により置き換えられるということがなかった。新旧が交代するのではなく、新が旧につけ加えられる。」
「古いものが失われないのであるから、日本文学の全体に統一性(歴史的一貫性)が著しい。と同時に、新しいものが付加されてゆくから、時代が下れば下るほど、表現形式の、あるいは美的価値の多様性がめだつ。」
「今日なお日本社会に著しい極端な保守性(天皇制、神道の儀式、美的趣味、仲間意識など)と極端な新しいもの好き(新しい技術の採用、耐久消費財の新型、外来語を主とする新語の濫造など)とは、おそらく楯の両面であって、同じ日本文化の発展の型を反映しているのである。」

3 言語とその表記法
「少なくとも七世紀以降一九世紀まで、日本文学の言語には二つがあった。日本語の文学と中国語の詩文である。」
「文芸復興期以降、ラテン語の文学は次第に近代欧州語の文学のなかに吸収されていったが、日本では文学の二カ国語併用が明治時代までつづいたということである。」
「近代の日本は、漢字の組合せによる新造語で、ほとんどすべての西洋語を訳し了せたという点で、西洋語をそのまま採り入れることを余儀なくされた他の多くの非西洋文化と、著しい対照をなしている。」
「日本語そのものについていえば、その多くの特徴のなかに、殊に文学作品の性質と密接に関連していると思われるものがある。
 第一に、日本語の文は、その話手と聞手との関係が決定する具体的な状況と、密接に関係しているということ。・・・
 第二、日本語の語順が、修飾語を名詞のまえにおき、動詞(とその否定の語)を最後におくということ。すなわち日本語の文は部分からはじまって、全体に及ぶので、その逆ではない。」

4 文学の社会的背景
「日本文学に著しい特徴の一つは、その求心的傾向である。ほとんどすべての作者は、大都会に住み、読者も同じ大都会の住民であって、作品の題材は多くの場合に都会生活である。」
「このように文学的階層が時代と共に変ってきたということが、日本文学の表現形式や美学や素材を多様化してきたということに、疑いの余地はない。しかしここでいう文学的階層は、ほとんどそのまま文化的選良の層である。」
「日本文学史のもう一つの社会学的特徴は、作家がその属する集団によく組みこまれていたということであり、その集団が外部に対して閉鎖的な傾向をもっていたということである。」
「社会に--その社会が小さくても、大きくても、--よく組みこまれた作家は、その社会の価値体系を、批判することはできないし、批判を通じて超越することはできない。しかし与えられた價値を前提としながら、感覚をとぎすまし、表現を洗練することはできる。」

5 世界観的背景
「日本人の世界観の歴史的な変遷は、多くの外来思想の浸透によってよりも、むしろ土着の世界観の執拗な持続と、そのために繰返された外来の体系の「日本化」によって特徴づけられる。」
「かくして日本文学の世界観的背景は、少なくとも三種類に分けて考えることができる。一方の極端には、外来思想があり、世界観の「流行」を代表して、各時代を鋭く特徴づける。他方の極端には、土着の考え方があり、日本人の世界観の「不易」の面を示す。そしてその中間には、「日本化」された外来思想のあらゆる段階があった。」

いかにも加藤氏らしい知的に構成された分り易い説明である。要するに、日本の文学が、そしてその文学が映す社会が、古い形態を維持してゐるといふことだらう。どの社会も、初めは小さな村のやうな閉された社会だつた。それが、外敵の侵入などの変化で揺さぶられ、より大きく、抽象的な原理に基づいた社会に育つた。

異なる文化を持つ小社会が大社会を作る際には、有力な小社会の規範を取り入れるのでなければ、異なる文化でも通じる抽象的な原理に頼らざるを得ないからだ。しかし村社会では、基本的な価値観は社会で共有されてゐるので、基本原理を議論する必要もない。白黒がはつきりする抽象的原理は、むしろ意見の相違を際立たせて、不都合となる。

かうした日本社会は、グローバル化の時代にも変はらず残るのだらうか。