波頭亮『成熟日本への進路』

「成長論」から「分配論」へ、といふ副題が付いてゐる。

以前から、今の日本必要なのは経済成長ではなく経済成熟ではないか、といふ漠然とした考へを持つてゐたが、この本は、その経済成熟の一つのあり方を示したものであり、大変興味深く読んだ。

バブル崩壊以降の日本が、新しい方向を打ち出せないまま漂流してゐることは、もはや定評である。変はらねばならぬ、と分つてはゐても変はることができない。あるいは、変はる必要性から眼を背ける。かうした知的な停滞には、様々な理由を挙げることができるだらうが、指導者層の知的水準の低さと労働市場の硬直性が大きな要因ではないだらうか。

その二点が、この本では明確に指摘されてゐる。1995年から2005年に高い経済成長率を実現した米国とデンマークを取上げ、両者の共通点は

1) 教育への投資が世界トップ水準で、
2) 労働者を解雇しやすいこと

だといふのだ。前者については、国家ヴィジョンの不在、「官僚のポチ」に堕したメディアといつた問題点も挙げられてゐる。後者については、デンマークでは高福祉だからこそ企業は解雇でき、解雇された側も失業手当や職業訓練が充実してゐるので困らない、といふ記述に興味を持つた。

80年代には、終身雇用が日本の強みだと言はれたものだが、大変革期の現在、それが大きな重荷であることは間違ひない。会社の経営の負担になるといふだけではなく、社会全体として見ても、有能な人材が衰退産業に留まれば、これから伸びるべき企業(それは、しばしば小さな企業なのだが)は、必要な人を採用できない。人の出入りが無いと企業が内向きとなり、率直な意見が言へなくなる。一度、有利な地位を得ると、そこにしがみ付く。日本社会のある種の息苦しさの根源だ、と言つても良からう。

「国民の誰もが、医・食・住を保障される国づくり」といふヴィジョンを実現するためには、医療・介護サービスの拡充や外貨を稼ぐ産業の育成による「産業構造のシフト」が必要であり、その際には「成長論から配分論へ」の転換や、「市場メカニズムの尊重」が重要だ、といふ指摘に止まらず、実現の鍵として、組織体制・制度・ルールの見直しが欠かせないとして、官僚機構の改革まで説き及んでゐるのは、周到である。最後に、国民が変はらなければならないことも忘れずに書かれてゐる。

個別の論点については、異論もあらうが、現在の日本が抱へる問題点と、解決の処方箋を示した書物として、広く読まれるべき本だと思ふ。