雇用の将来

新聞やテレビのニュースからも、直接聴く産業界の人の話からも、大企業の「終身雇用」に代表される日本の雇用制度は、もはや維持できない状況となつてゐるし、むしろ変へなければ日本が大変なことになるといふ印象を持つ。最近、ウェブ上で、同趣旨の話を二つ読んだので、メモしておく、

 

一つは、ビジネスメディア誠のコラム「ちきりんの"社会派で"で行こう」の誰が終身雇用のコストを負担しているのか?

 

新人の採用数によつて雇用を調整する日本企業の遣り方は、メリットが小さくリスクは大きい。不況時に採用を減らしても新人の人件費は低いので費用はあまり下がらないし、今後40年不況が続くのでない限り、いつかは人手不足になる。逆に、バブル時のやうに大量採用すれば、やがて人件費が高い中高年が余ることは確実。忙しい時に新人の教育に時間を取られるといふ問題もある。

 

でも、実際には(大企業は)こういう方法はとれないのです。なぜなら日本では法的に(判例により)、社員の解雇は“そうしないと倒産する”レベルにならないとできないし、“新人採用をやめ、非正規雇用者を切ってからしか、社員の解雇はできない”とされているからです(整理解雇の四要件)

キャリア途中の人が解雇されないこの国では、層の厚い“中高年の人材市場”が形成されていません。だから好況時に即戦力を採用したいと思っても、採用したいレベルの人が労働マーケットにいないのです。

 

かうした仕組に伴ふ高いコストは誰が負担してゐるのか。

被害を受けていると思われるのは……
(1)企業……本来もっと高い収益が上げられたはず(株主はより多くを得られたはず)
(2)有能な社員……本来もっと高い給与がもらえたはず
(3)若者……本来もっと雇用される機会に恵まれていたはず
(4)弱者……(企業業績が良く、より多くの人が雇用されていれば)本来もっと社会福祉の原資となる税金が多かったはず

 などですが、(1)の株主は、日本企業の株を売って海外の企業の株を買えばいいし、(2)の有能な社員も海外や外資系企業で働くという逃げ道があります。しかし、(3)の若者や(4)の弱者は逃げ道がありません。

「終身雇用がいいか、悪いか」という議論は、不完全な議論です。何の犠牲も払わずに終身雇用ができているならそれでもいいでしょう。しかし実際には日本社会全体で、この制度の維持のために多大なコストを払っています。そして、それらのコストの多くは雇用機会が得られない若者や、社会の弱者が負担させられています。新卒を正社員採用し、定年まで解雇できないという終身雇用制度は、そういう人たちの犠牲のもとに維持されているのです。

 

もう一つは、日経ビジネスオンライの「人口オーナス」から導かれる新常識

それにしても日本の少子化が急激に進んだのはどうしてでしょうか。私は、日本ではこの子育ての機会費用が特に大きくなったからだと考えています。それは日本的な働き方と関係しています。
例えば、日本的な働き方の大きな特徴である長期雇用の下では、オン・ザ・ジョブ・トレーニングを通じて企業にフィットした人材が育成されていきますから、女性が一旦退職してしまうと、再び同じような条件で職場に復帰することが難しくなります。

 年功型の賃金体系も問題となります。年功賃金の下では、正社員と非正規社員(パートなど)との賃金格差は大きくなりがちです。正社員は、勤続年数が加味されますから、同じような仕事をしていても非正規社員よりはずっと高い賃金になるのです。すると、子育て終了後に女性が労働市場に参入しようとすると、相対的に低賃金の非正規の職しかないということになります。こうしたことが、女性が子育てのために退職することの機会費用を大きくしているのです。

 さらに、近年のように企業が雇用調整をする場合には、企業はまず新卒採用者を減らします。長期雇用慣行の下では、既に働いている人を減らすことは難しいからです。すると、もっぱら若年層が雇用調整のしわ寄せを受けることになります。すると、不況期には「若年層の失業率が高くなる」→「生活基盤が安定しないので結婚できない」→「結婚できなければ子供も生まれない」ということになります。

 病気にたとえれば、これこそが真の病なのであって、低出生率や女性の低就業率はその結果熱が出ているようなものです。「子ども手当て」のような政策はいわば解熱剤を飲むようなもので、本当の病気を治すことにはなりません。労働市場流動性を高めたり、同一労働同一賃金を実現したりすることなどによって労働市場構造改革を進め、男女共同参画社会を実現していくことこそが本当の少子化対策、成長政策となるのです。

 

要するに、世の中が大きく変化してゐるときに、雇用が固定化されてゐては、変化への対応が出来ない、といふことだ。しかし、かうした仕組で得をしてゐるのは誰なのか。仕事の割に高い給料を貰つてゐる中高年のサラリーマン、といふことになるだらう。(俺のことか?)

 

かうした人たちの首を切ることが正しいのか。それでは家のローンや教育費負担を抱へてゐる彼らは、自己破産するより他に手が無いではないか。国内需要が更に冷え込むではないか。

 

一つの制度は、他の制度を前提に成り立つてゐるので、一つだけ変へるといふことは、様々な問題を生む。全体を見直す必要があるのだが、一度には無理だ。さう言つてゐるうちに、この国の衰退はさらに酷くなる。

 

所得の再分配の問題なので、今までに比べて得をする人もゐれば損をする人もゐる。これは避けられない。だとすれば、どのやうな基準で制度を選ぶのか。やはり「公平性」といふことが第一だらう。同じ仕事をしてゐれば同じ賃金を貰ふといふのが、その一例だ。仕事は同じなのに、正社員は賃金が高く、アルバイトは低い、といふのは不公平である。また「維持可能性」を忘れてはなるまい。日本の人口は減り続けてゐる。つまり、現状では、社会が再生産されてゐないのだ。これは正常な状態とは言へまい。

 

これまでの政府の施策は、公共事業による建設業への発注や、最近では行政のIT化のやうに、弱つてゐる既存産業への支援が中心だつた。しかし、これは現状を維持する効果しか持たないし、本来潰れるべき企業を存続させるといふ点では、必要な改革に逆行するものだ。

 

やはり、これから必要となる産業分野への投資を増やすといふ視点での政策が必要だらう。エネルギー・環境分野がさうだし、医療、福祉、教育などもさうだらう。そのために必要な財源は、消費税を上げることで得るしかないだらう。製造業だけでは、雇用は支へ切れない。むしろ、固定的な雇用制度などの負担を少しでも軽減しないと、製造業は潰れるか、外国に出て行くかしかなくなるだらう。

 

かういふ思ひ切つた施策を推進できるやうな政府は、いつになつたら生れるか。