治められる者のずる賢さ

アラン(1868-1951)が市民の持つべきずる賢さについて書いてゐる(1928年9月8日のプロポ)。革命により得た市民といふ地位は、決して気楽なものではないのだ。革命によつて高まる愛国主義は、しばしば戦争につながる。それを如何に防ぐかといふのがアランの問題意識だつたと思はれるが、政治一般のあり方に関する議論として読んでも得る所があるだらう。

 

私達の市民 citoyen といふ在り方は、自分で選んだものではないし、選びもしなかつただらう。小さな事柄では、私達は多くを為し得るのだから。しかし、大きな組織の恐怖や怒りや衝動を抑へねばならぬ時には、殆ど何もできない。私達は気ままに語り暴君を笑つて楽しい年月を過ごす。そして、突然、奴隷の地位に堕ちる。私達の気持や習はし moeurs に反して、だが、私達自身の手によつて、血が流れ、大砲が鳴る。革命は、一つの思想であるとともにある種の狂乱だつたが、私達に巨大な権力と度外れな義務とを遺した。この理想と栄光と血の混合物をいつまでも飲み続けねばならないのだらうか。あるいは、それをはつきり断つてしまつて、隠者のやうに地面に坐りこむか。超人的な生活か人間的な生活か。私達は人間的に生きることを望む。そしてずる賢さが必要なのははつきりしてゐる。動物は夢中だ。確かに、もの静かな牛も夢中に荷を引く。人は夢中にはならない。人は何事にもずる賢いのだ。航海はずるい。産業はずるい。人間は自然に従ふことによつてのみこれに勝つことができる、といふ言葉についてよくよく考へるべきだ。最も恐るべき政治といふ自然を前にしても、同じでない訳がないだらう。火を消さうとして火中に身を投げることはない。シーザーに対して身を投げる理由があらうか。
治める者のずる賢さは、世界とともに古い。治められる者のずる賢さはまだまだ若い。ある人々の野心、他の人々の慎み深さ、殆ど全ての人々の性急さ、これら全てが海となり、ある時は組しやすく柔らかに上下し、ある時は波立つて唸り、ある時は猛り狂ひ、叫び、砕ける。そして一つの港もない。人は誰も、生まれてから死ぬまで、この波の上で生きなければならない。決して安心できず、多くの譲歩が要る。私は「愛せよ、何より愛せよ」といふ声を聞く。この政治的な海は全く人間的なもので、私の同類から成り、その一部は私自身の身体だといふことは良く分かつてゐる。しかし、非常に強い、結局のところ宗教的な感情によつて、それが全て私の身体だと考へるとしても、自分自身を治め、自分に対してずる賢くなるといふ仕事はないのだらうか。近づく内なる嵐といふべきほんの小さな怒りでも、それについて教へて呉れる。私の中にあるもの全てが良い訳ではない。どうして大きな私の全てが良いことがあらうか。どうして自分自身の中では決して崇めることがないものを他人や他人の集合体の中で崇めようか。それには、身を震はす巫女のやうに、この社会では全てが良い、全てが神聖だと主張せねばならないだらう。
全てが良いのではない。むしろ私は、食べる、眠るといふやうな下位の必然性を見るだらう。開墾は破壊で、狩や漁は容赦ない征服だ。防衛も直ぐに非人間的になる。狂人を縛り、他に仕方がないと殺すのが素晴らしいことだとは誰も言つたことがない。どうして防衛に酔ふのか私には分からない。ここで情熱は、不器用な闘士に見られるやうな、目的を超えた秩序のない動きに似てゐる。 しかし、反対に、全てをなるがままに任せ、もう一つの命を支へる低位の命を拒否するのが理に適なつてゐるとは思はない。
人は私を二律背反に陥(おとしい)れようとする。全ての暴力を拒否して死ぬか、力の動きを生きる条件として認めるか。人は捉へようとするが、私は身を躱(かは)す。できるだけ力の動きを制限し計算しようとする。狂乱に対して抵抗し、痙攣や怒りを避けようとする。要するに、自身自身の身体に対してずる賢いやうに、社会的な身体にもずるく応じる。なすがままに任せると、鍵を開けようとして私自身の身体がどんなに馬鹿げた風になるか、私は良く知つてゐるのではないか。

 

要するに、治められる側にも弛まぬ努力が要るといふ訳だ。

 

また、ここには、政治を崇高な目標ではなく、食べる、眠るといつた生物的な欲求のやうに次元の低いものとして扱はうといふ姿勢も見てとれる。これは、最近、東浩紀氏が出した『一般意思2.0』の中で提示されてゐる意見と一脈通じる所もあるやうな気もする。それについては、別途。