丸谷才一氏が亡くなつた。そもそも余り小説を読まないこともあつて、氏の小説の良い読者ではなかつたが、その評論からは多くのことを学んだ。
最初に丸谷才一といふ人に注目したのは、1980年代前半に文藝春秋に連載されてゐた鼎談書評を読んだ時だ。丸谷氏、木村尚三郎氏、山崎正和氏の三人が、それぞれが推す本を持ち寄つて感想を述べあふといふ形で進められる書評で、個性豊かな三人が「おどかしつこ」をしてゐる風情もあり、刺激に充ちた連載記事で、それまで知らなかつた様々な世界を垣間見ることが出来た。
丸谷氏は新古今和歌集とジョイスの専門家といふことになつてゐると思ふが、そのいづれについても無知な身としては、もつぱら氏の日本語論を楽しんで読んだ。『文章読本』をはじめとして、『日本語のために』、『桜もさよならも日本語』、大野晋氏との対談『日本語で一番大事なもの』等々、いづれも洒落た文章で、確かな知識に裏付けられた主張を聴くことができ、気持が良い。
しかし、小林はたしかに偉大な文藝評論家ではあるにしても(そのことをわたしは認める)、彼の文章は飛躍が多く、語の指し示す概念は曖昧(あいまい)で、論理の進行はしばしば乱れがちである。それは入試問題の出典となるには最も不適当なものだらう。
とこのやうに記すとき、わたしはかならずしも小林を非難してしてゐるわけではない。彼は現代日本の散文の未成熟といふ悪条件のなかで、その悪条件を逆手に取るかたちで新しい文藝評論を創造した。その事業は、彼の場合、散文の成熟といふ方向と一致するものではなかつたといふだけのことだ。
嗜好の違ひはあるが、丸谷氏の批評家としての眼はしつかりしてゐる。私は丸谷氏よりも小林秀雄の方がずつと好きなのではあるが。
ともかく、また一人、読むべき文章を書く人が消えて仕舞つた。