丸山眞男『福沢諭吉の哲学』

丸山眞男*1(1914-1996)は福沢諭吉(1835-1901)の哲学に関して、「福沢に於ける「実学」の転回」、「福沢諭吉の哲学」といふ二つの論文を書いてゐる。岩波文庫に収められたこれらの文章を読みながら、思ひついたことを書き留めておく。

「福沢に於ける「実学」の転回」 -福沢諭吉の哲学研究序説-

丸山眞男は「哲学」といふ言葉をどう捉へてゐたのか。

もとより福沢は狭義の哲学者ではないから、彼の認識論なり価値論なりをそれ自身としてはどこにも提示してはいない。しかし彼の諸著作を仔細に読むと、そこに一貫してある共通の物の見方、価値づけ方が感知されるのである。そうして、それは他の同時代の啓蒙思想家たちと決して単純に同視しえない、きわめて特徴のあるものである。...とくに強調したいのは、そうした福沢の「哲学」こそ、彼の掲げた独立自尊の精神を根底から基礎づけていることである。福沢の自由の精神をこの基礎まで掘り下げることによって、彼の問題意識が一般に考えられているよりはるかに深奥なものであった事が理解せられるし、同時に福沢の提出した問題の現代的意義が愈々切実に我々に迫って来るのである。(岩波文庫38-39頁)

哲学とは、物の見方である認識論と価値づけ方としての価値論が主なものであり、それが人の(この場合は福沢の)精神の基盤となつてゐる、と考へられてゐることが分かる。

丸山によれば、福沢は単に「実学」を尊重したのではない。実学を尊重し、実践的必要から切り離された理論的完結性に対して無関心なのは、むしろ伝統的な日本の特徴だとされるからだ。

福沢の実学に於ける真の革命的転回は、実は、学問と生活との結合、学問の実用性の主張自体にあるのではなく、むしろ学問と生活とがいかなる仕方で結びつけられるかという点に問題の核心が存する。そうしてその結びつきかたの根本的な転回は、そこでの「学問」の本質構造の変化に起因しているのである。(同44頁。ゴチックは原文では傍点で以下同じ)

福沢は「東洋になきものは、有形に於て数理学*2と、無形に於て独立心と此二点である」と言つたが、

物理学を学問の原型に置いたことは、「倫理」と「精神」の軽視ではなくして、逆に、新たなる倫理と精神の確立の前提なのである。彼の関心を惹いたのは、自然科学それ自体乃至その齎した諸結果よりもむしろ、根本的には近代的自然科学を産み出す様な人間精神の在り方であった。その同じ人間精神がまさに近代的な倫理なり政治なり経済なり芸術なりの基底に流れているのである。(同47頁)

丸山は、江戸時代まで*3の学問では、「自然が倫理価値と離れ難く結びついて居り、自然現象のなかに絶えず倫理的な価値判断が持ち込まれるという点」が問題であることを宋学などの例を挙げて示してから、次のやうに論を進める。

福沢が「物ありて然る後に倫あるなり、倫ありて然る後に物を生ずるに非ず。臆断を以て先づ物の倫を説き、其倫に由て物理を害する勿れ」文明論之概略、巻之一)と断じたとき、それが思想史的に如何に画期的な意味を持っていたかということは、以上の簡単な叙述からも理解されるであろう。彼は社会秩序の先天性を払拭し去ることによって「物理」の客観的独立性を確保したのであった。(同53頁)

ニュートン力学に結晶した近代自然科学のめざましい勃興は、デカルト以後の強烈な主体的理性の覚醒によって裏うちされていたのである。それはデューイがいう様に、理論的に自然に服従することによって実践的に自然を駆使するところの逞しい行動的精神であった。

この近代理性の行動的性格を端的に表現するのが、いわゆる実験精神である。近代的な「窮理」を中世的なそれから分つものはまさにこの実験である。理性は単に本質を観想するにとどまらずして、実験を通じて自然を主体的に再構成しつつ、無限に新領域へ前進していく。...福沢はこの実験的精神を単に自然科学の領域だけでなく、政治、社会、等の人文領域にまで徹底して適用したのである。(同54-55頁)

従って又福沢の実学は卑俗な日常生活のルーティンに固着する態度とは全く反対に、そうした日常性を克服して、知られざる未来をきり開いて行くところの想像力によってたえず培わるべきものであった。だから逆説的にいえば、アンシャン・レジームの学問がなにより斥けるところの「空理」への不断の前進こそが、生活の学問とのヨリ高度の結合を保証すると考えられたのである。(同58頁)

 近代理性の逞しい行動的精神、実験精神こそ、福沢が日本に欠けてゐると考へたものだといふ訳だ。

「福沢に於ける「実学」の転回」は、最後に興味深い論点を示して締めくくられてゐる。それは、西洋では「機械的自然は人間の主体性の象徴たることから転じてやがて人間を呑みつくすところの不気味なメカニズムとして映ずる様にな」り、堪えきれなくなつて人は「ラスキンの浪漫主義やトルストイの田園賛美の懐に逃げ込」むこととなつたが、福沢がかうした科学主義に内在する問題にどのやうに対したか、といふ問ひだ。

丸山は「凡そ人たるものは理と情との二つの働に支配せられて、然かも其情の力は至極強大にして理の働を自由ならしめざるの場合多く」「左れば斯る人情の世界に居ながら、唯一向に数理に依て身を立て世を渡らんとするは甚だ殺風景にして、迚(とて)も人間の実際に行はれ難」い、といつた福沢の言葉を引用しながら、福沢の一見妥協的とも見える態度の裏に、「原則」があることを示唆する。

ひたすら数理に依拠する生活態度に対し、「殺風景」という感覚を持つという事自体、既に彼が単純な抽象的合理主義の立場を超えている事を示していないだろうか。若しそうなら、上の様な現実的態度は決して単なる妥協ではなくして、彼の「原則」のなかに位置を占めねばならない。それでは非合理的現実の承認は、他方に於ける物理学主義とは一体どの様な牽連を持つのか。それは嘗ての心学的な現実主義といかに区別されるか。福沢が最後まで科学的決定論の陰惨な泥沼に陥らなかった事も、どうやらこの問題に関係がありそうである。ここに我々は漸く彼の「哲学」の内奥に足を踏み入れたわけである。本稿の目的はこの戸口にまで道をつける事にあった。問題の核心については、筆を改めて論じたいと思う。(同64頁)

福沢諭吉の哲学 -とくにその時事批判との関連-

この論文には「まえおき」があつて、その中にはかう書かれてゐる。

第一に、本稿の意図は福沢の多方面にわたる言論著作を通じてその基底に一貫して流れている思惟方法と価値意識を探り出し、それが彼の政治・経済・社会等各領域の具体的問題に対する態度と批判の方向をいかに決定しているかということを究明するにある。(同66頁)

 哲学とは、「基底に一貫して流れている思惟方法と価値意識」を指す訳だ。この哲学は、明示的に示されてゐるとは限らない。

とくに福沢の様にその方法論なり認識論なりを抽象的な形で提示することのきわめてまれな思想家の場合には、その意識的な主張だけでなく、しばしば彼の無意識の世界にまで踏み入って、暗々裡に彼が前提している価値構造を明るみに持ち来さねばならない。(同67頁)

かうした「哲学」は、学校で教へてゐるやうな類のものではないだらう。だとすれば、それをどのやうに身に付けるのか、といふ疑問が湧くが、先を読んでみよう。

丸山は先づ『文明論之概略』の冒頭の文章に注目し、次のやうに述べる。

まずこのテーゼの意味するところを最も広く解するならば価値判断の相対性の主張ということに帰するであろう。福沢によれば物事の善悪とか真偽とか美醜とか軽重とかいう価値判断はそれ自体孤立して絶対的に下しうるものではなく、必ずや他の物との関連において比較的にのみ決定される。我々の前に具体的に与えられているのは、決して究極的な真理や絶対的な善ではなく、ヨリ善きものとヨリ悪しきものとの間、ヨリ重要なるものと、ヨリ重要ならざるものとの間、ヨリ是なるものとヨリ非なるものとの間の選択であり、我々の行為はそうした不断の比較考量の上に成り立っている。従ってまた、そうした価値は何か事物に内在する固定的な性質として考えらるべきではなく、むしろ、事物の置かれた具体的環境に応じ、それがもたらす実践的な効果との関連においてはじめて確定されねばならぬ。(同71頁)

丸山は、『学問のすゝめ』からも「時代と場所という situation を離れて価値決定はなしえないとい命題に帰着する」と考へられる文章を引いて、これが福沢の考へ方の「根本主題」を成してゐることを示しながら、次のやうに指摘する

従って、目的が状況に応じて推移すれば同じ事物に対する彼の価値判断も当然変化せざるをえない。このことを無視して、背後の具体的状況から切断された言説のみを問題にするならば福沢のなかから幾多の奇怪な矛盾を拾い出して来ることはきわめて易々たることである。(同74頁)

この根本主題に基づけば、

福沢が一生その先達を以て自他ともに許したヨーロッパ近代文明は決してそれ自身絶対的な目的乃至理念ではなかった。近代文明の妥当性は福沢において上下二つの括弧によって相対化せられていた。まず第一にはヨーロッパ文明の採用はつねに日本の対外的独立の確保という当面の目標によって制約せられる。...しかし第二に、ヨーロッパ近代文明は、文明の現在までの最高の発展段階であるという歴史性によって限定せられる。...ヨーロッパ文明も半開に対して僅に文明というのであって、決して之を以て至善至美と看做すべきものではない、やがて文明の一層の進歩(それが具体的に何を意味するかは後に述べる)は現在の西欧文明を以て野蛮と看做す時期が来よう。(同76-77頁)

といふことになる。また、『文明論之概略』では日本の国家的独立が基本的な目標とされてゐたのだが、

ヨーロッパ文明論と並ぶもう一方のテーゼとしての日本の国家的独立という事もまた福沢にとっては、条件的な命題であることを看過してはならない。国の独立が目的で文明は手段だと福沢がいうとき、それはどこまでも当時の歴史的状況によって規定せられた当面の目標を出でないのであって、一般的抽象的に、文明はつねに国家的存立乃至発展のための手段的価値しかなく、国家を離れて独自の存在意義は持たぬという立場を取ったのでは決してない。(同79頁)

 かうした「事物の価値を事物に内在した性質とせずして、つねにその具体的環境への機能性によって決定して行く」福沢の態度は、プラグマティズムに近いとされる。

プラグマティズムはデュウィのいう様に、近代自然科学を産んだルネッサンスの実験的精神の直接的継承者であり、十九世紀中葉以降、機械的決定論の泥沼のなかに埋没した科学主義をばベーコンの伝統への復帰によって主体的行動的精神と再婚させようとする意味を持っている。(同82頁)

この「主体的行動精神」が、状況に応じて変はる価値判断を支へる力なのだ。

かくして福沢の場合、価値判断の相対性の強調は、人間精神の主体的能動性の尊重とコロラリーをなしている。いいかえれば価値をアプリオリに固定したものと考えずに、是を具体的状況に応じて絶えず流動化し、相対化するということは強靭な主体的精神にしてはじめてよくしうる所である。それは個別的状況に対して一々状況判断を行い、それに応じて一定の命題乃至行動基準を定立しつつ、しかもつねにその特殊的パースペクティヴに溺れることなく、一歩高所に立って新しき状況の形成にいつでも対応しうる精神的余裕を保留していなければならない。(同83-84頁)

この力を失ふと、福沢の言ふ「惑溺」の現象が現れる。この「人間精神の懶惰」は、杓子定規な対応を、あるいは逆に場当たり的な対応を生む。

従って公式主義と機会主義とは一見相反するごとくにして実は同じ「惑溺」の異った表現様式にほかならない。かくして、福沢をして「無理無則」の機会主義を斥けさせた精神態度が同時に、彼を、抽象的公式主義への挑戦に駆り立てるのである。(同84頁)

 かうした精神的な態度を決めるのは、個人の性格や国民性ではなく、社会の在り方だ。

この様に、固定的価値基準への依存が「惑溺」の深さに、之に対して、価値判断を不断に流動化する心構えが主体性の強さ(福沢はそれを「独立の気象」と呼んだ)に夫々比例するとしても、そうした人間精神の在り方は福沢において決して単に個人的な素質や、国民性の問題ではなくして、時代時代における社会的雰囲気(福沢の言葉でいえば「気風」)に帰せられるべき問題であった。換言すれば、固定した閉鎖的な社会関係に置かれた意識は自から「惑溺」に陥り、動態的な、また開放的な社会関係にはぐくまれた精神は自から捉われざる闊達さを帯びる。(同86頁)

この開放的な社会を築くことこそ、福沢にとつての文明であつた。

しかし福沢において人類の進歩とはまさしく前者の型より後者への無限の推移のうちに存する。いま一度いうならば、それは社会関係の固定性がますます破れ、人間の交渉様式がますます多様になり、状況の変化がますます速やかになり、それと同時に価値基準の固定性が失われてパースペクティヴがますます多元的となり、従ってそれら多元的価値の間に善悪軽重の判断を下すことがますます困難となり、知性の試行錯誤による活動がますます積極的に要求され、社会的価値の、権力による独占がますます分散して行く過程にほかならぬ。(同89-90頁)

この考へ方から、「単一の説を守れば、其説の性質は仮令ひ純精善良なるも、之に由て決して自由の気を生ず可らず。自由の気風は唯多事争論の間に在て存するものと知る可し」といふ自由観が出て来る。

丸山はこれまでの議論を下のやうな表に整理してゐる。

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丸山は、さらに、歴史的発展を根本的に推進させる契機に関する福沢の考へについて述べる。

社会的交通(人間交際)の頻繁化こそが爾余の一切の変化の原動力にほかならない。かくて、近代西洋文明の優越の基礎も究極においては、この交通形態の発展に基くということになる。「西洋諸国の文明開化は徳教にも在らず、文学にも在らず、又理論にも在らざるなり。然ば即ち之を何処に求めて可ならん。余を以て之を見れば其人民交通の便に在りと云はざるを得ず」(民情一新)(同102-103頁)

最後に、丸山は福沢の「人生全体の意義に対する終局的な「問い」とそれへの「安心」観」について触れてゐる。それは次のやうなものである。

「既に世界に生れ出たる上は、蛆虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。即ち其覚悟とは何ぞや。人生本来戯れと知りながら此一場の戯を戯とせずして恰も真面目に勤め...るこそ蛆虫の本分なれ。否な蛆虫の事に非ず、万物の霊として人間の独り誇る所のものなり」(福翁百話)(同110頁)

「浮世を軽く認めて人間万事を一時の戯と視做し、其戯を本気に勤めて怠らず、啻(ただ)に怠らざるのみか、真実熱心の極に達しながら、扨(さて)万一の時に臨んでは本来唯是れ浮世の戯なりと悟り、熱心忽ち冷却して方向を一転し、更に第二の戯を戯る可し。之を人生大自在の安心法と称す」(同上)

 かうした福沢の態度について、丸山は次のやうな判断を下して文章を締め括つてゐる。

遊戯とはジンメルも述べている様に人間活動からそのあらゆる実体性を捨象して之を形式化するところに成立つところの、最も純粋な意味でのフィクションである。そうしてフィクションこそは神も自然も借りない全く人間の産物である。福沢は人生の全体を「恰も」といふ括弧につつみ、是をフィクションに見立てたことによって自ら意識すると否とを問わずヒューマニズムの論理をぎりぎりの限界まで押しつめたのであった。(同112頁)

今日の問題との係り

上に幾つか抜き書きしたやうな丸山眞男福沢諭吉の哲学観は、基本的に正鵠を射てゐるやうに思はれるので、ここでは、その正否について論じるのではなく、上記のやうな福沢諭吉の考へ方が、今の日本や世界が抱へてゐる問題について、どのやうな観点を提供して呉れるか、といふ立場から思ひつくことを書き留めておく。

ちなみに、丸山が上の二つの論文を書いたのは1947年で、

 今次の惨憺たる敗戦によって、日本の維新以来歩み来ったいわゆる「近代化」の道程がいかに歪曲されたものであったかが白日の下に曝され、ひとびとが近代的自由を初歩から改めて学び取ることの必要を痛切に意識するに及んで、福沢諭吉はさきごろまでの汚名であった自由主義者乃至個人主義功利主義者という資格に於て、いままた舞台に呼び戻されようとするかの如くである。(同37頁)

といふ時代だつた。さうしたお手軽な福沢観に対する反発として書かれた文章だと言へるだらう。いづれにしても、背景にあるのは、「惨憺たる敗戦」といふ日本の状況だつた。

 日本の衰退の説明

敗戦から75年、現在の日本は新たな「敗戦」を迎へることとなつた。1980年代における日本の経済的な地位は、"Japan As Number One"などといふ題の本が出たり、日本の地価総額が米国のそれを上回つたり、などといふ今では考へられないほど高いものだつた。それが、バブル崩壊以降、30年もの間、低迷から抜け出せないでゐる。その大きな原因は、世の中が変化してゐるにも拘はらず、日本社会の仕組みが変はらなかつたことだ、と言へるだらう。高度成長の成功で「惑溺」に陥つてゐたのだ。

終身雇用制、年功序列などの仕組みや、自社内の技術で全てを賄はうとする姿勢は、国内需要を基盤として、人口が増え経済が拡大する局面には適したゐたのだが、経済がグローバル化し、人口が停滞する局面では、最適な戦略ではなくなつた。しかしながら、バブルの崩壊で莫大なキャピタルロスを生まれ、経営者が守りに入つたため、戦略の変更ができなかつた。

もし日本人が「惑溺」に陥りやすい傾向があるとすれば、村や会社などの組織への精神的な依存度が高く、「独立の気象」が乏しい点がその原因として挙げられるだらう。自分の判断よりも組織の判断を優先する。しかし、組織は判断などしない。新しい意見は常に個人から生まれるのだから。その結果、空気に流されて変革が遅れる。

福沢諭吉明治維新前後に見た「惑溺」といふ日本の病弊は、太平洋戦争、バブル敗戦といふ形で繰り返し姿を現してゐるやうに見える。

 インターネットとポピュリズム

しかし、問題は日本だけに限らない。最近の先進国におけるポピュリズムの台頭、フェイク・ニューズの氾濫を見てゐると、福沢が理想とする「人民交通の便」が極端に進んだことにより、多様な価値判断に耐え得る強靭な主体的精神が成り立たなくなつてゐるのではないか、といふ疑念が生ずる。世の中が複雑になり過ぎて、その構造が誰の眼にもはつきりとは見えなくなつてゐるのではないか。

さうした状況で、個人が「知性の試行錯誤」を繰り返しても、世界について何か整理された考へにたどり着くことは難しい。それにも関はらず、見たことのない国々での出来事が私達の生活に影響を与へる。世界に保護主義的な傾向が出てゐることも、かうした個人の知的能力を超えた世界の複雑化が一因ではないかと思はれる。

人民交通の便が発達することは良い事だらうが、同時に、丸山が整理した表の言葉で言へば社会の「対立による統一」といふ多元的な価値を容認する世界の在り方を示すことが急務になつてゐる。

 認識論として

その関連で、福沢諭吉プラグマティズム的な認識論を持つてゐた、といふのは興味深い。絶対的な真理の探究を目指す西洋流の哲学が政治的独裁や狂信的なテロリズムの源になつてゐると思はれるからだ。

そもそも、事物の本質とか内在的価値とかいつた考へ方は、プラトンイデア論や創造神といふ西洋の伝統的な物の見方から出てゐると言へるだらう。「◯◯とは何か」といふ問ひ方が、さうした物の見方の典型である。全知全能の神が全てを目的をもつて創つたのであれば、全ての物には本来の姿、あるべき姿としての本質が備はつてゐると考へることは自然だらう。しかし、さうした創造神がゐない、或いは、私達にはその意図を知ることができないのだとすれば、(人間が作り出したものを除いて)事物についてその本質を考へることは無意味だと言ふべきだらう。

かうした立場からすれば、全ての知識は暫定的であり、文脈に依存したものとなる。絶対的な真理の典型だと思はれてゐた自然科学分野でも、量子力学の登場によつて実験条件と実験結果とを分離して考へることができなくなつてゐる。この世界では、主体から完全に分離された「客観的」な事実は、存在しないのだ。

しかし、それは事実が存在しない、といふことではない。ただ、人が知り得た事実は、過去の人達が積み上げて来た努力の成果であり、さうした背景を無視して事実を語ることはできない、といふことだ。そして、事実を見極めるための社会的な仕組みの維持・強化が、今後の重要な課題であるといふことだ。

古典としての福沢諭吉

丸山眞男福沢諭吉を重んじてゐたことは良く知られてゐるが、丸山とは立場を異にする小林秀雄(1902-1983)も、芸術家をのぞけば、明治以降に活躍した日本人で最も詳しく論じてゐるのは福沢諭吉なのだ。ともかく、福沢諭吉は今読んでも、非常に面白い。まさに日本の古典だと言ふべきだらう。

 

*1:このブログでは「歴史的人物」と認められる人には敬称を付けないことを基本的な方針にしてゐる。

*2:丸山が文章の中で述べてゐるやうに、物理学を指す。

*3:丸山は「アンシャン・レジーム」と呼んでゐるが、大まかに江戸時代までを指すと考へて良いだらう。