H. Feigl のベルクソン観

Herbert Feigl: The "Mental" and the "physical"を読む。(David J. Chalmers ed."Philosophy of Mind, classical and contemporary readings" pp.68-72)

 

抜粋を読んだだけなので、早まつた判断かも知れないが、内容的には、心と脳の働きは同じものである、といふ議論の一種で、さしたる興味も覚えなかつた。ただ、文末に、次のやうな文がある。

 

If one only follows the analogies, then it stands to reason that the enormous differences in behavior (and neural processes) that exist between, e.g. human beings and insects, indicate equally great differences in their corresponding direct experience or sentience. Fancying the qualities of sentience of the lower animals is best left to poetic writers like Fechner, Bergson, or Maeterlinck. As regards the mental life of robots, or of Sciven's (1953) "androids," I cannot believe that they could display all (or even most) of the characteristics of human behavior unless they were made of the proteins that constitute the nervous system --- and in that case they would present no puzzle.

 

Feigl によれば、ベルクソンは「詩的な作家」の一人となるらしい。もし、彼が一度でもベルクソンを開いたことがあるなら、恐らく『創造的進化』あたりを走り読みした上での発言だらう。誤解も甚だしいと言はざるを得ない。

 

ロボットが心を持つか、といふ問題については、タンパク質でできてゐれば持つてゐて不思議はないが、さうでなければ人間の挙動と同じものにはなるまい、と言つてゐる。心と脳の働きが同じだ、といふ立場からすれば当然の意見だらう。しかし、おもしろい問題、追及すべき問題は、例へばシリコンの「脳」を持つロボットと人間とでは、何が同じで何が違ふのか、である。Feigl が馬鹿にしてゐるベルクソンは、この問題を考へるにあたつても一つの示唆を与へて呉れるやうに思はれる。即ち、純粋知覚 perception pure といふ考へ方がそれだ。ロボットには純粋知覚はあるが、純粋記憶はない、といふ仮説から人間とロボットの違ひを検討するといふ接近法である。