William James "Human Immortality" 其の二

非欧米人蔑視の話といふ脇道に逸れて書き切れなかつた部分の追加。

ジェームズは、production 説と transmission 説とを比較して、前者の立場からする反論や、後者の優位性についても触れてゐる。

production 説からの反論として挙げられてゐるのは、この説の方が簡潔であり、科学的ではないか、といふもので、これに対しジェームズは、実証的な科学では、脳と精神活動の間に相関があるといふ以上のことは言へないと応へる。両者の間で具体的にどのやうなことが起こつてゐるのかは、どちらの説でも不明である。ヤカンから蒸気が出てくるのは、物理的に同質な動きであり、分子の動きの変化として容易に捉へることができる。他方で、脳と意識は、完全に異質なものである。production 説が両者の関係を簡潔に説明してゐるとは言へない。

transmission 説の優位性としては、この説では意識はすでに世界とともにあるものとして仮定されてをり、新たに無数の場所で精神の誕生といふ奇跡を想定する必要はない(即ち、奇跡は一度で済む)といふ点が先づ挙げられる。意識が登場するためには一定の水準の活動が前提となるといふ、Fechnerの「閾値」説ともうまく合ふ。宗教的な改心、瞬間的な治癒、予知などの心霊現象を説明しやすいといふ点も、この説の利点として挙げられてゐる。

これらの主張が唯物論者たちを説得できるとは思はれないが、ジェームズが心理学者として人間の心の在り様を詳しく研究した人であることを考へると、無下に扱ふべきではないだらう。ジェームズといふ人は、所謂プラグマティズムの流派の人で、高校の教科書でこの一派について読んだ時には、実用主義、拝金主義のアメリカ文化を象徴するやうな浅薄な哲学だといふ印象を持つたものだが、実は、なかなか見所のある人である。