インターネット時代の若者

11月13日付の Economist 誌に、Don Tapscott 氏の"Grown Up Digital: How the Net Generation Is Changing Your World"といふ本の評が載つてゐる。1978年から94年に生まれた12カ国の8000人近い人を対象とした調査をもとに書かれたもので、この世代の人達が、米国のオバマ次期大統領の選挙戦に見られたやうに、世界の在り方を変へて行くといふ意見を述べてゐるらしい。

 

一般的に、最近の若者に対しては、ウェブはできても、人とのコミュニケーションが苦手で、社会に合はせることができず、恥を知らず、不正直で、他人のことに気を配らない等々の批判があるが、著者は、むしろ問題は、今の世の中で何が起きてゐるかを理解しないベビーブーム世代だと言つてゐるさうだ。

 

著者が挙げてゐるといふネット世代(Net Geners と呼ばれてゐる)の特徴は、以下の8つである。
・何をするにも、自由と選択を重んじる。
・自分に合はせてカスタム化するのが好きだ。
・どんなことでも根掘り葉掘り調べる。
・何を買ふか、どこで働くかを決める時にも、誠実さと開かれた態度を求める。
・仕事でも、学校でも、社会生活でも楽しみと遊びを欲しがる。
・人と力を合はせるのが好きだ。
・どんな事も、速やかに起きることを期待する。
・絶え間ない革新を求める。

 

他方で、著者が心配してゐるのは、教育システムの欠陥で、この世代の3分の1が、ネットの利益を享受することができないでゐること、そして、この世代が個人のプライバシーへの配慮を欠いてゐること、の二つである。

 

言はれてみると、最近の若者には、著者が挙げるやうな良さがあるやうな気もする。他方で、デジタル世代の子供が、健全に育つためには、ネットをあくまでも、現実の世界に生きるための一つの道具として使ひ、バーチャルな世界に閉ぢ籠らないことが、不可欠の前提であることも強調しておきたい。

 

ネットを通じて触れることのできる世界は、あくまでも直かに触れる世界とは別のものだ。たとへ、そこで映像や音を見聞きすることができ、将来的には臭ひなどが感じられるやうになつたとしても、そこには現実の世界が持つ豊かさはなく、予期しない速やかな対応を求められることもない。

 

また、ゲームにおいて典型的に見られるやうに、電源を切り、リセットすれば、全てが消え、元に戻るといふ点も、現実の世界とは全く異なる点であり、注意が必要だ。アランが 『精神と情念に関する81章』の中で、賭け事への熱中を分析してゐるのを思ひ出す。(第5部第2章)

 

退屈が高じると、一つの治療法として賭事に心をさわがせることがよくある。(中略) 先づ、賭けさへすれば儲かることは逆の場合よりも可能性が低くないといふ意味で、普通の慾よりも勝ちたいといふ慾には餌が多いことに着目しよう。賭事への熱中はここから始まることもある。しかし多くの場合、退屈と真似で始まる。慎めば守銭奴だとかお利口だとか思はれ、これは我慢しづらいので、余計にさうなる。いづれにせよ、儲けたいといふ欲は、自分の運を試したいといふ欲により、すぐに影が薄くなる。素朴な賭人(かけて)はどんなカードが出るか、どの種類か、どの色かを見抜いたと信じてゐることに着目するのもよからう。

この予感が常に外れるといふことはないので、輝かしい勝利が来る。損してゐるときでさへも。儲ければ、この不思議な力を、自分と物との間の天恵の調和のやうに楽しむ。この気持ちは小さなものではない。かうした偶然で古いミイラも子供に返る。この運試しが閉ざされた世界で行はれ、直ちに曖昧さのない答が返される点を付け加へよう。また、自由はないのだが、新たな試みが前のものに左右されない世界だ。その結果、運命論の偶像が崇められ、他方で、全てが因果を避けられない世界で実際に試みる場合によく出会ふ絶望が全くないことになる。逆に、偶像崇拝の素朴な信仰は、そこに自分の場所を見つけ、そこでは希望は常に若々しい。そして現実の世界が決して短気な者の思ひどほりに応じないことは、誰もが知つてゐる。決して白でも黒でもない。答は、希望を信念の後に置く厳しい決まりに従つて、自分から引き出さねばならない。しかし賭事はいつでも白か黒かで答へる。続けるのではなく、出直せる。

 

ネット世代は、若々しく、いつでも出直せると考へてゐるかも知れないが、この人生では後戻りはできないのだ。