組織にあつて正気を保つ方法
軍の最高司令部の眼が曇つてゐることについては、法廷で驚くべき話が語られてゐる。自分が見たものを報告したことで指導部の構想を乱した部下が歓迎されないといふだけでも相当なものだ。もつと凄いのは、この部下が正しかつたのが分り、勝利につながつたとしても、傷ついた君主の不興が消える望みはないといふことだ。かうしたことで誰でも怒りを感じるが、それで何も起こらない。怒りが考へにつながらないからだ。ここまで自惚(うぬぼ)れると、判断を受け付けない。ありさうもないことは夢と同じで、驚きには細かな陰翳がなく、進歩がない。この種の無感覚が、規律の基礎を成す。
軍隊の力が人間的な制度と何の関係もつながりもないことについて、よく考へて見たまへ。政治にも、行政にも、産業界にも、専制的に支配する長が見つかる。しかし、これらの権力は、一介の大尉の権力に比べても、笑ひ話でしかない。ルイ14世でさへ、自分に不同意であることを公言する男の頭を切らせる権力は持つてゐなかつた。今日では、従順さが足りない部下に起り得る最悪のことは、解雇である。しかし軍の権力は、圧政により、動作を支配する。私は、さうなるしかないことを知つてゐる。機械的な手段により、ある種の圧政が生まれ、それが弛みのない規律と非人間的な権力を要求する。奴隷は、生き延びるとすれば、それで余計に酷い目に遭ふといふことはない。屈辱よりももつと低いところに置かれるのだから。彼は自分の考へを曲げる必要はない。誰も彼の考へなど気にしないのだから。逆に、長の方は、このアジア的な専制の状況では、殆ど確実に判断力を失ふ。「正しい論理は、どれも、反感を買ふ」とスタンダールは言つた。我々は、皆、この厳しい格言についてよく考へれば得る所があるだらう。しかし、通常の生活では、気に入らなくても正しい論理に耳を傾けねばならない。それに応へる労を取らねばならない。ともかく、それについて考へねばならない。最初の錯乱の後には、判断力が戻つて来る。
軍の長は、初めは彼の気分を害するが自信過剰を防ぐやうな、この種の正しい論理には決して耳を貸さない。部下は佞臣(ねいしん)だ。部下は決してあるがままを言はず、気に入ることだけを言ふ。この規則は無邪気に守られてゐる。ひどく混乱して少佐が言つた。「お二人の意見は真反対だ。それに、お二人とも大佐なのだ。」私は、気の利いた事を言ふつもりで、かう応じた。「どちらが先任の大佐なのかを調べなければなりませんね。」しかし、この発言は無礼だとは判断されず、解決策となつた。最高司令官を、この例から判断したまへ。一人の部下が見たことを見たとほりに言う。それで反感を買ふ。人は、彼が正しい事を認めるが、彼が反感を買つたことに変はりはない。反感を買ふことを敢へてしたことは、いつまでも変はらない。無礼は、守られすぎて過敏な表皮に刺さつたままだ。彼が間違つてゐれば、多分許されただらう。正しい、といふのは、二度無礼を働くことだ。信じられないやうな誤りを理解したければ、この点を充分に考へる必要がある。私はここにある種の正義を見る。命拾ひした奴隷の頭はしつかりしてゐるが、主人は正気を失ふのだから。